人間関係の悩み

映画「いまを生きる」から考える”よい子”を持つ家庭の危険性について

これまで育った家庭環境で、いわゆる”よい子”として育った人って、どれくらいいるんでしょうか。

そんなことを思いながら、子どもの頃から”よい子”と言われて育った私から、”よい子”って本当に”良い”のかを、映画を題材に考えてみようと思います。

なお、この記事では、映画「いまを生きる」のネタバレを含みますので、気になる方はご注意下さいね。

家族を考える

まず、そもそも”家族”とはいかなる概念なのかということについて、まとめてみます。

デジタル大辞泉では、“夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団。近代家族では、夫婦とその未婚の子からなる核家族が一般的形態。”という意味で掲載されています。

稼ぎ頭の父と、家事を行う母親、というのが昔の形態でしたが、最近は夫婦共働きの方が一般的ですが、子どもは父親と母親に支えられて、生きていくことができるというのは、ほとんどの方がよくわかってると思います。

人間は、魚類などとは違って、自分で生きていける能力を身につけるのに、かなりの時間を要し、それまでの間はどうしても親依存になります。

以上のことから、人間の場合、子どもにとって親とは自分の生殺与奪を握る絶対的な存在であることが分かりますね。

次は、『いまを生きる』という映画の紹介と、作品内で描かれる家族について、紹介します。

本記事は、ネタバレを多分に含むので、当作品をまだ視聴されていない方は、一度視聴されることをオススメします。

映画『いまを生きる』の作品概要

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いまを生きるとは、1989年にアメリカで上映された映画です。原題は「DEAD POETS SOCIETY」といい、劇中に出てくる「死せる詩人の会」のことを指します。

主演は、ロビン・ウィリアムズ。彼は、この映画の後に上映される「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」などでも出演しています。

では、作品の内容について、詳しく見ていきます。

作中の登場人物(※ネタバレ注意)

主な登場人物は、次のとおりです。

キーティング

ロビン・ウィリアムズが演じる、本作の主人公です。一風変わった授業を行い、生徒たちの度肝を抜きますが、その授業内容は教育の本質を突いた、素晴らしいものです。しかし、秩序や伝統、既得権益者が築いた秩序を守ろうとするその他の教員からは、煙たがられる存在です。

ニール

キーティングの教え子で、歳相応にやんちゃな一面をのぞかせながら仲間たちと学校で過ごす爽やかな少年。

厳格な家庭育ちであり、絵に描いたような”よい子”です。キーティング都の出会いを通じで、将来は「役者」の道を進みたいと考えるようになります。ちなみにこの記事では、基本的に彼のことを書きます。

その他の生徒

その他大勢いる、キーティングの教え子です。

教科書破り捨てたり、机の上に仁王立ちする授業を行うキーティングに対して、最初は違和感を感じていましたが、次第に彼の魅力に惹かれていきます。

ニールの父親

ニールの父親で、いわゆる頑固な親父です。

ニールを医学の道に入れさせようと考えており、彼の役者になりたいという夢はおろか、彼自身の主張や意思すらも否定します。現実にいたら、殴り飛ばしたくなるようなクソ親父。

他にも多くの人物が登場しますが、今回は割愛します。

気になる方は、是非本編映画をご視聴下さい。

見どころ

物語の流れとしては、伝統と規律でカッチカチな風通しの悪い学校に、風雲児と言わんばかりに、ロビン演じるキーティング先生がやってきます。

そして、型破りのように見えながらも教育の本質を突いた彼の授業から、生徒たちは感銘を受け、「死せる詩人の会」の活動を通して、

「自分が将来進みたい道=自分の人生」

ということについて、考え始めます。

ニールも、キーティングとの出会いを通じて、自分自身の内なる声を自覚し、自分の夢に向かって突き進もうとします。

しかし、ニールの夢は両親(父親)に否定され、最終的には陸軍士官学校に転校させられてしまい、絶望したニールは自ら命を絶ってしまいます

次の段から、何故ニールが自ら命をたってしまうに至ったのかについて、私の考えを述べていきます。

映画を通して考える”家族とは何か”

映画にてニールは、父親によって、自らの将来を無理矢理変えられてしまい、絶望して自ら命を絶ってしまいました。

自分の子どもが突然自殺してしまうなんて、はっきり言って信じられない出来事ですよね。

もちろん、これが映画だから自殺という極端な結末になっただけだろと思う方もいるでしょう。

その意見には私も少なからず同意するところがありますが、ここで問題なのはそこではありません。

ニールは何故自ら命を絶ってしまったのか

キーティングとの出会いを通じて、ニールは自分自身の内なる声に気がつきました。

しかし、その一方で、父親の前では、相変わらず自分を抑圧した”よい子”のままでした。

つまり彼は、本当の自分”よい子”を演じている自分の間で、彼は揺れ動いていました。

そして彼は、父親によって無理矢理進路を変えられてしまい、その日の夜に自ら命をたってしまいました。

何故彼が自殺という選択をしたのか。私には、この”よい子”というものが、最後の最後まで彼を苦しめた要因だと考えています。それを詳しく説明したいと思います。

”良い子”がもたらす弊害

ニールは自殺までする必要はなかったのではないか、もしくは、一人で生計を立てられるように、それこそキーティングが言ったように「卒業後に好きな道を行け」ばよかったのではないか。

親の許可など、全くもって関係ないのではないかと考える人もいるかもしれません。

 

ここでまた考えて欲しいのが、ニールが家庭の中で”よい子”だったことです。

子どもが何故”よい子”でいるかという理由は、とどの詰まり親に気に入られるため、かわいがわれ守ってもらうためです。

つまり、親の期待する子どもになることで親に受け入れられ、自分が死なないようにするのです。

”よい子“にとっての親とは、自分の生命を支配する恐怖の対象なので、逆らうことはすなわち死を意味します。

こうなると、子どもは逆らうことができなくなるのです。

 

そして、彼が選んだ”自殺”という選択は、彼が自分の父親に対して唯一できると考えた反抗といえるでしょう。その代償として、彼は自分の将来と命を失ってしまうことになってしまいましたが…。

ニールはどうするべきだったのか

さっさと親から経済的に自立すること、だとは思うのですが…。

先述しましたが、これは作中でもキーティングがニールに対して一度伝えています

しかし、ニールは、自分の父親に自分の思いが言えなかったことで、深く絶望してしまいます。

将来の仕事選びや進路選択は、家業を継がなければならなかった昔の頃と異なり、現代の日本なら自分の道を自分で決めて進むことができるので、親の許可などいらないのです。

しかし、彼の”良い子”としての面が、父親たちから承認を得る(従順に育ったニールにとって、父親を目の前にして反抗することは本当に困難です)という手続きをスルーすることができず、そこで自分の夢が潰えて(と本人が思い込んで)しまい、そんな彼が最後の最後に見せた抵抗こそが、彼が自殺だったのではないかと私は感じました。

大人が気をつけなければならないこと

この映画から、私は多くの教訓を得られるのではないか、と感じました。

これがフィクションだからこそまだ良いものの、現実であれば目も当てられない悲惨な結末を迎えることになります。

悲惨な結末とは、ニールのように「子どもの自殺」だけとは限りません。

これ以外にもたくさんの悲惨な結末が考えられます。

例えば子どもが親を襲うケースもあるかもしれませんし、もしくは老後の段階で、もっと酷いことがあるかもしれません。

それでは、子どもを育てる親の立場にたったとき、私たちは何に気をつけなければならないのでしょうか。

1.子どもに自分の価値観を一方的に押し付けてはならない

まず、父親もしくは母親が、子どもの主体性を奪ってはならないことを、この映画は強く示していると思います。

いま自分の子どもは何を考え、そして将来どのような道を進みたいと考えているのか、考えたことはありますか。

親の立場では、「自分たちが経験したからこの進路は大丈夫で、この進路は世間で危ないと言われてるからダメだ!」と、親が一方的に子どもに押し付けがちになると思います。

子どもが反発してくれるならまだ良いですが、高校生にもなって子どもが素直に親の言うことに従おうとしてるときこそ、

本当にそれで大丈夫なのだろうか?

と、親は考えなければならないでしょう。

 

親が子どもに与えるものは、自分たちの価値観や世間の常識ではなく、むしろ自分さえも知らないものも含めた、複数の選択肢と子どもを認め、安心させることではないでしょうか。

2.経済的な面から子どもを脅迫してはならない

実は私の父親が(高校教師であるにもかかわらず)このタイプの人間なのですが、絶対に子どもに対して、経済的な面で脅してはいけません。

何故なら、子どもにとって、親は自分自身の生殺与奪の権利を握る存在だからです。

つまり、子どもは親に対して絶対的に不利な存在なのです。

 

例えて言うなら、親が戦闘力1200のサイヤ人で、子どもは戦闘力たった5の農民、といったところでしょうか。

もしかしたら、そのサイヤ人の戦闘力はせいぜい10程度かもしれません。たとえ親の戦闘力がたったの10だったとしても、子どものスカウターでは、親は戦闘力が1,200、もしかしたら戦闘力53万の宇宙の帝王に見えてしまいます。

親の子どもに対する「養ってやっているんだから、俺の言うことを聞け。それが気に入らないなら家から出て行け。」という類の脅しは、はっきり言って大人が子どもに対してどころか、人として使うべき言葉ではありません。

子どもが可哀想なのは当然ですが、子どもが大きくなった時、今度は年老いた親が間違いなく不利になりますからね…!

3.親自身が自身の価値観を常にアップデートすること

世の中は常に変化し続けています。科学技術や経済の面で、昔と同じ時代はもはや存在しないと考えたほうが良いでしょう。

世の中は仕組みの面だけでなく、思想・文化・価値観の面でも変化が起きているのですから、20年前、30年前の自分が若かったころの考えや当たり前とされていた考え方は、もはや時代錯誤もよいところです。

ですので、自分の考えや、若かった頃に正しいとされていた思想・価値観が、現在においても正しいとは限らない、という戒めが必要です。

しかし、親に限って、自分の考えが間違っていると思わないので、いつまでたっても古い考え方にとらわれているケースが多いです。

まとめ:子どもの主体性を尊重することは最終的に親自身が幸せに生きることに繋がる

もし子どもが望む進路を、親が自分の価値観や偏見で断つようなことがあれば、後々になって、子どもは親に恨みを抱くようになるのではないかと思います。

子どもにとっての喜びは、他でもなく親から承認を得られることだからです。

これができなければ、長期的に見れば親は子どもから見放されることになるでしょう。

思うに、親は子どもから尊敬される親に、無理になろうとする必要はないと思います。

勿論親としては、子どもに尊敬されたいという願望を持つのが当たり前だとは思いますが。

ですが、子どもが親を慕うかどうかは、あくまでも子どもの問題です。

もし子どもに認められたいと思うのなら、子どもが認めたいと思う人間になるしかないですよね。

親の皆様へ。子どものことを心配しないで信頼して下さい。親子関係についての私見です。 私自身がこれまで親との関係でずっと悩んできたことがあったのですが、最近になってから、自分の考えという...

最後に

この「いまを生きる」という映画は、1989年に上映されたもので、現在でも名作と呼べる数少ない映画であると思います。

 

私自身は、自分の進路や幼少期の頃にあったトラウマに、非常に苦しめられていた時期がありました。

そんな時に、この映画と出会ったことで、自分自身の進路を決められないことや人間関係上のトラウマの原因が、自分自身を抑圧して”よい子”を演じていたことにあったのではないかと自分で気づくことができました。

子どもの頃から引きずっていたトラウマや、親との関係性について、自分自身で大分清算できました。

今回の記事では、映画の内容について、それなりにネタバレをしてしまいましたが、それ以外にも多くの考えさせられるシーンがたくさんあると思いますので、気になる方は是非一度、自分の目で確かめてみてください。

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大阪在住のWebマーケター。20代後半からWeb業界入りし、IT・マーケティングを身につければ、たとえ遅咲きでも人生・キャリアをやり直せることを証明すべく、日々情報発信中です。
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