アドラー心理学ってご存知ですか?
自己啓発系はあまり好きではないので敬遠していたんですが、知らず嫌いもどうかと思ったのでこれを機に触れてみました。
アドラー心理学って一体どんなん?
という人に向けて、簡単に紹介したいと思います。
流行に乗り遅れないためにも、是非読んでみてくれるとうれしいです。
目次
アドラー心理学とは
アドラー心理学とは、その名のとおり、アルフレッド・アドラーを祖とする心理学体系で、個人心理学ともいわれています。
参考:アドラー心理学(wikipediaより引用)
その真髄となる考え方をまとめたのがダイヤモンド社から出版された『嫌われる勇気』です。
『嫌われる勇気−−−自己啓発の源流「アドラー」の教え』
著者は岸見一郎氏と古賀史健氏。
古賀氏は『20歳の自分に受けさせたい文章講義』でもおなじみの方ですね。
哲人と青年の対話形式で、アドラー心理学とは何ぞや?と話が進みます。
とにかく哲人の揚げ足取りをする青年が気になりますが、見守るような感じでアドラー心理学の本質を読んでいけば、スッと内容が頭に入るかと思います。
アドラー心理学根幹の考え
アドラー心理学における重要な概念・発想についてまとめました。
アドラー心理学では、「人の悩みは全て人間関係の悩み」と断言しているところが印象的です。
重要な要素となる考え方は次のとおり。
『目的論』
一般的に、人は「過去があって今がある」と考えるものですが、アドラー心理学ではそうではありません。
過去に原因を求める発想ではなく、人は目的を実現するためにに過去を引用すると主張し、これを目的論といいます。
つまり、人間は今の自分を正当化するために、自分に都合よく過去を引用する生き物という考え方です。
例えば、過去に女性に振られたショックで恋愛ができないのではなく、その恋愛をしたくない(という目的)から、女性に振られた(もしくは振られる)ショックという感情を作り出す、ということになります。
この辺、なかなかエグいと感じるのは私だけでしょうか…?
人は自分の目的(ライフスタイル)を再選択できる
しかし見方を変えると、目的(ライフスタイル)を変えたいと本気で望むならば、人は再選択できるという考え方でもあります。
アドラー心理学では、人は変われないのではなくその人自身に変わる勇気が足りない、もしくは幸せになる勇気が足りないという解釈になります。
…やっぱりエグいですね。究極の自己責任論みたいで。。。
『課題の分離』
アドラー心理学では、『すべての悩みは対人関係の悩み』という立場を取ります。
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、もしくは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされる、というスタンスですね。
そのため、他者の課題に踏み込まず、なおかつ自分の課題にも踏み込ませない、いわゆる課題の分離が必要になります。
その課題が誰のものかという問題ですが、それは結末を最終的に引き受けるのは誰かを考えれば判別可能です。
例えば、大学の受験勉強という課題だったら、それは受験する学生になりますよね。
他にも子どもの自立や、就職・転職、生活基盤の確立であれば、当然その結末を受けるのは自立する子ども本人です。
そういう意味で、子どもを必要以上に心配する親というのは、他人(自分の子供)の課題に土足で踏み込んでいる可能性があるので、程々にしておかないと子どもが泣くようなことになりかねないかもしれません。
ちなみにこの辺りは、私が感じていた生きづらさにも関わってきたので、大分腑に落ちた感じです。
『共同体感覚』
課題の分離は対人関係の悩みを解決するための考えですが、それはあくまでも出発点にすぎません。
他者を仲間だと見なして、そこに対して『居場所である』を感じられることを共同体感覚と言い、アドラー心理学ではこれが対人関係のゴール(目指すべき場所)であると考えます。
ここでいう共同体とは、最も小さな単位が「わたしとあなた」の関係で、対人関係において「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていくことが重要だと主張します。
自己への執着というと、「ドラえもん」に出てくるジャイアンのような身勝手な人を連想するかもしれませんが、他者からの承認欲求を満たすために他者の課題に踏み込む人(つまり「課題の分離」ができていな人)も、自己への執着に囚われた人です。
つまり、やたらと子どもを心配し、子どもの課題に踏み込む親御さんも、自己への執着が強いことになります。
どうやって「自己への執着」を「他者への関心」に変えていくのか。
ここでポイントとなるのが、自分は人生の主人公は「わたし」ですが、「わたし」は世界の中心に君臨しているのではなく、あくまでも共同体の一員、全体のごく一部にすぎない、という感覚をもつこと。
その共同体に対して、わたしは何を与えられるか、どのように貢献できるかと考え実践することで、人はその共同体に居場所を獲得できるのです。
その一方で、その共同体において理不尽な欲求を突きつけられるようであれば異を唱えて構わない、自分を殺して従わなければ崩壊してしまうような関係性ならば、最初から関係を結ぶ必要はないとも断言しています。うーん。
ただ、こういうのは大体上下関係がはっきりしていたり、自分が上下関係に囚われてたりしてると起こるので、アドラー心理学においては、対人関係を「縦の関係」ではなく「横の関係」、つまり「わたしとあなたは対等」に考えてはどうかと提唱します。
この共同体感覚をより深く理解するためには、実際に書籍を手にとって読んでみることが一番です。
まとめ
まとめ。
「嫌われる勇気」で語られたアドラー心理学の重要な部分は次の通りです。
- 目的論…人は自分の目的(ライフスタイル)を選ぶことができる
- 課題の分離…他者の課題に踏み込まないし自分の課題に踏み込ませない
- 共同体感覚…周囲を味方と思い、居場所であると感じられるか
アドラー心理学は、他者を変えるのではなく、あくまでも自分の認識を変えることに焦点を置いた考え方です。
しかし人間関係は、例え自分が変わったとしても、相手が変わらなければ根本的な解決が難しいです。
相手がアドラー心理学の発想に肯定的であれば、それを理解してくれますが、残念ながら全ての人間がアドラー心理学を受け入れているわけではないですよね。
この辺はあらゆる自己啓発系にも共通しますが、あまりハマりすぎず、相手にも押し付けない方がよい気がしますね。
課題の分離は覚えておいて損はないと思います
ですが、課題の分離という考え方は、自分が必要以上に他者のことに首を突っ込まない(つまり自分でタスクを増やさない)ことになるので、過保護的な人にはちょっと抵抗があるかもしれませんが、自分をケアすることにも繋がるので知っておいて損はないかと思います。
ただその一方で、他者に対して無関心を突き通す、もしくは完全放置というのも問題なので、そのあたりの塩梅(あんばい)が難しいそうですね…。
こればかりは、キチンと相手と対話しながら、相手のことに耳を傾けたり、相手が話せる空気を作ったりと行ったことが必要になってくるのかなと思います。( ˘ω˘ )
それでも人間関係にしんどさを感じたら手にとって見てはいかが?
自分が今の人間関係に悩みやしんどさを感じ始めとき、「なぜ自分はしんどいと感じるのだろう?」と疑問に思って下さい。
そのときの自分の認識はどうなのかを見直すことで、自分の生きづらさの原因に気づけるかもしれません。
例えばいつも周囲を気にかけている人は、課題の分離という考え方に触れることで、他者に必要以上に介入せず、自分の自主性を尊重するという立場を取れば、それだけでも大分楽になると思いますよ。
参考書籍
また『嫌われる勇気』には次巻『幸せになる勇気』もあり、こちらはより実践的な内容となっているようです。
気になる方はぜひ読んでみてくださいね。